ノンシリコンシャンプーや自然健康食品の通販サイト・オーガニックコスモから心暖まるお話しをお届けします。健康や笑顔は毎日の健全な生活からですね。
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22.03.2012
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今、健康に生きている幸せ
【おにいちゃん、ありがとう】

メルマガ「人の心に灯をともす」より

中山和義氏の心に響く言葉より…


ある男性には、4つ年下の妹がいました。

妹は2歳のときに白血病にかかってしまい、それ以来、ずっと入院生活を続けていました。

妹が病気になってしまってから、両親は妹の看護をするのに必死でした。

休みの日にはいつもお見舞いに行っていたので、彼には家族旅行の思い出がありません。


友達から、

「この前、家族でディズニーランドに行って楽しかった」

「お父さんにプールで泳ぎを教わったよ」

という話を聞くと幼かった彼は、

「僕はお父さんにも、お母さんにもどこへも連れて行ってもらっていない」

とさびしい思いをしていました。


「妹が病気のせいでどこにもいけない」と、幼い頃は妹を憎んでいたこともありました。

しかし、大学生になり、自分の自由な時間が増えると、病院にずっといなければいけない妹がかわいそうに思えてきました。

時間が空いている限り、お見舞いに行き、必死に病気と戦っている妹を応援してあげました。


ある日。

1時間くらい、テレビの話題、病院や大学であった出来事を話し合った後、

「もうすぐ、クリスマスだね。クリスマスの日、また来るから」

と言って帰ろうとすると、

「おにいちゃん、クリスマスプレゼントに携帯電話が欲しい」

とお願いされました。


クリスマスの日、病気の負担にならないようにできるだけ操作の簡単な携帯電話を探してから、お見舞いに行くと、

「これ、頼まれていたやつ」とプレゼントを渡しました。

そして、とても喜んでいる妹にメールや電話のやり方を教えてあげました。


その日の晩、妹から彼に

「おにいちゃん、ごめんね。私、小さな頃から、おにいちゃんに迷惑ばかりかけているよね。

せっかくのクリスマスなのに・・・。

ごめんね。

おにいちゃん、ありがとう」

というメールが届きました。

これが妹からの最初で最後のメールでした。

その日の晩、容態が急変して妹は亡くなりました。


看護師さんから妹が亡くなったとき、携帯電話をしっかりと握りしめていて離すのが大変だったと教えてもらった彼は、

「妹が最後の挨拶をしてくれたんだ」

と思いました。

『人生の目的に気づく 24の物語』フォレスト出版



「あなたがなんとなく生きた今日は、昨日死んでいった者が、あれほど生きたいと願った明日」(カシコギ)

普段丈夫な人が急に病気になったり、肉親が倒れたりすると、今までがいかに幸せだったのか、そこで初めて気づく。

なんとなく、ぼんやりと生きることができる人は、本当は、このうえない幸せな人だ。


今、呼吸することのできる幸せ。

今、食べることができる幸せ。

今、生きていることの幸せ。


当たり前の幸せに気づける人でありたい。

21.02.2012
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【ふたつの手】

メルマガ「100人の1歩」より

〜〜〜

女優オードリー・ヘップバーン

彼女が最も愛したとされる詩


『時の試練をへた人生の知恵』

サム・レヴェンソン詩集より


【時を越えた美しさの秘密】

魅力的な唇のためには、

優しいことばを紡ぐこと



愛らしい瞳のためには、

人々の素晴らしさを見つけること



スリムな体のためには、

飢えた人々と食べ物を分かち合うこと



豊かな髪のためには、

1日に1度子供の指でといてもらうこと



美しい身のこなしのためには、

決してひとりで歩むことがないと知ること



人は物よりもはるかに多く回復し、

復活し、生き返り、再生し

報われることが必要なのです

繰り返し報われることが



人生に迷い、助けて欲しい時、

いつもあなたの手のちょっと先に

助けてくれる手がさしのべられていることを、

忘れないで



年をとると、

人は自分に2つの手があることに気がつきます



ひとつは自分自身を助けるため

もうひとつの手は他者を助けるために



〜〜〜

オードリー・ヘップバーンが

亡くなる前の最後のクリスマス・イブに

ニ人の息子に読み聞かせた詩だそうです。

・・・━━━☆・


オードリヘップバーンというと「ローマの休日」

女性からあこがれるような容姿、そして、それだけではなかったのですよね。

暖かい大きな愛を世界中の人々に注いでくださったオードリヘップバーン。

私も一歩でも近づきたい
17.01.2012
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前へ 命の力をなめんなよ!
【前へ】

メルマガ「すぎたつ流『本気の仲間づくり』」より


たま〜にお会いする不思議な方(笑)

『ひすいこたろう さん』のメルマガ名言セラピー(http://mini.mag2.com/pc/m/M0070259.html )より『前へ』

============

「ひすいさん、岩手の山田町においしいものを食べに行きませんか?」と誘われました。

山田町といえば今回の東北地方太平洋沖地震の津波で町ごと流されてしまった場所。

そこに、おいしいもの食べに行く?

「ひすいさん、山田町ってすごいんです。今回の震災で町中の人たちが悟ったんじゃないかって思えるくらい、町の人たちがすごい言葉を発するんです。その山田町においしいものを食べに行きませんか?ツアーを組みますので」

というわけで山田町に連れていっていただきました。

僕らを最初に出迎えてくれたのは漁師のおじちゃん。

いきなり、ごっそり、新鮮な牡蠣とム─ル貝を出してくださいました。

え?いいの?

食べんしゃい食べんしゃいと漁師のおじちゃん。

「ここにいる仲間は、みんな家も流されて、仕事もないんだ。ははははは」

え?え?え?はははって?

被災地の人たち家流されてるのにこんなに明るいの?

仕事もなくなったのにこんなに明るいの?

笑いの絶えない山田町の方たち。

1時間が過ぎた頃、僕はそのおじちゃんにこう切り出してみた。

「どうしてそんなに早く立ち直れたんですか?」

その質問で、おじちゃんの笑顔が一瞬だけ止まったように見えました。

そして逆に質問されました。

「立ち直ってると思う?」

あああああああ!!!しまった!!!そうだよなーーー。

僕はなんて無神経な質問をしてしまったんだろう……

「悲しんで下を向いてたってなにも始まらない。いまは前を向くしかない。ウソでも笑える人は前へ進める」

あとでわかったことですが、そのおじちゃんはお兄さんを震災で亡くされていました。

一夜にして家を失い、仕事を失い、家族を亡くしながらもウソでもいいからと笑い、前へ進もうとしている人たちが山田町にはいました。

夜は漁師さんの他、魚屋さん、スーパーの方、シェフの方など若手の皆さんも飲み会に参加してくれました。

スーパーで働くある人はこう言いいました。

「絶対泣いちゃダメだ」

そういって、次の日から仕事を再開して町の人たちにお弁当を配って回った。

ある人はこう言いました。

「山田町のみんなを見たら、『がんばれ』って言えなくなると思う。
 だってがんばってるから」

ある漁師はこう言いいました。

「食えないからってこの仕事をやめるつもりはない」

お店を流されて自宅で食品加工業を再開したある社長はこう言いいました。

「海に恨みはない。逆にこれまでいかに海が私たちに恵みを与えてくれていたのかに気づいた」

「働くというのは相手が認めてくれなくては働けない。こうして働けるようになって、いまは仕事が楽しくて感謝しかない」
 
ある人はこう言いました。

「つまらないものをもってるからつまらなかったんだとわかった。つまらないことをしてるからつまらなかったんだとわかった」

「全てを失って何もいらないことがわかった」

「元気だからがんばるんじゃない。がんばるから元気がでるんだ!」

こう言ってくれた人もいました。

「物的支援だけではなく、僕らのことを気にかけてくれるだけで支援です。こうして話を聞いてくれるだけでうれしい」

「絶対に泣かない」

そう誓いながらも、昔のお祭りの写真を見つけ、かつての町なみを見て涙が止まらなくなったと語ってくれた人。

工場が流されて販売チャンネルを失いインターネットを60歳を超えてから始めたおばあちゃん。

子どもたちが大好きな山田町のために来月、イタリアンレストランを開くんだと語ってくれた人。

よくよく話を聞いていたら、その方は、おくさんを震災で亡くされていました……

命をなめんなよ

そう言われてる気がしました。

家を失っても、仕事を失っても、家族を失っても、それでもなお立ち上がれる力が命にはあるんだ。

命の力をなめんなよ

そう言われてる気がしました。

1階が津波で壊滅。2階もボロボロ。ならばと3階で床屋さんを再開しているお店もありました。http://yfrog.com/kglbblj

幕末、レボリューションが起きたのは薩摩と長州からです。

江戸時代の始まりには、超貧乏だった薩摩藩。

大幅に領地を没収されて隅においやられた長州藩。

明治維新は、最も厳しい環境の二藩から立ち上がっていったのです。

革命はいつだってギリギリの環境のところから立ち上がっていく。

東北はいま、ニッポンのレボリューションの最前線にいる。

東北に、多数のブッダ(目覚めた者)が、誕生してきています。

僕らは100年後、この地球にいません。

つまり、得たものは、すべて手放す日がきます。

昨日得たものも、明日得るものも、全て手放す日がきます。

そう考えると、何かを得ることが人生ではないことがわかります。

おもいきり生きること。

後悔なく、おもいきり生きること。

それが人生です。

この寒さのなか

すべてを失った人たちがウソでいいからと笑って前へ進んでいる。

「笑っていると勢いがでるんだ」

そう言って笑いながら・・・

前へ。

前へ。

前へ。

=========

22.12.2011
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【母の命日のプレゼント】

メルマガ「人の心に灯をともす」より


佐藤光浩氏の心に響く言葉より…


著書『武士道』で日本人や侍の生き方を世界に伝え、国際連盟の事務局次長も務めたクリスチャンの教育者、新渡戸稲造。

彼はクラーク博士で有名な札幌農学校を卒業後、アメリカとドイツに留学し、教育者として研鑽を積んでいきます。


彼がドイツのボン大学で学んでいたときのこと。

近くの公園を散歩していると、カトリックのシスターが大勢の孤児を連れて歩いているのを見つけました。

孤児たちは、同年代の子が親と楽しそうに遊んでいるのを見て、悲しそうな顔を浮かべています。


その日は、ちょうど新渡戸の母親の命日でした。

そこで、彼は母親に供え物をする代わりに、あの子たちにプレゼントを贈ろうと考え、近くにいたミルクを売っている女性に、代金を払うから、あの孤児たちにミルクをあげてほしいと頼みます。

もちろん、彼からのプレゼントだということは秘密にしてもらいました。


ミルク売りの女性はシスターにこの申し出を伝え、孤児たち全員にミルクが配られました。

突然のプレゼントに子どもたちは大喜び。

そして、全員が飲み終わると、シスターは孤児たちに話します。


「私たちに施しを下さった方が、どなたかはわかりません。

ですが、感謝の気持を伝えるために、全員で賛美歌を歌いましょう」

公園内に響く子どもたちの歌声。


彼は、母親の命日によいことができたと満足し、シスターと孤児が公園から去るのを見届けると、代金を払うためにミルク売りの女性のもとへ向かいました。

ところが、ミルク売りの女性は、代金を半額しか受取ろうとしません。


「私も孤児たちにミルクをあげたいと思っていましたが、商売のことを考えると、なかなか行動を起こすことはできませんでした。

なので、ミルク代は原価だけを受取らせてください。

今日は本当にありがとうございました」

ミルク売りの女性もまた、温かな心を持っていたのです。

『寝る前に読んでください vol.2』アルファポリス


心の栄養素を発信させていただいているオーガニックコスモはこちらより

15.11.2011
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一休さんと船頭
【一休さんと船頭】

メルマガ「魂が震える話」より


“松本 明慶(まつもと みょうけい)氏のお話です。

松本氏は、

天才仏師といわれ、

17歳のとき、4歳年下の弟の死をきっかけに仏像を彫り始め、

19歳で大佛師・野崎宗慶に弟子入りし、

以後40年以上、仏像彫刻一筋に打ち込んでいる方です。

そんな松本氏が、

師匠から教わった最後の口伝

「一休さんと船頭」をご紹介させて頂きます。

_______

ある日、

一休さんが船で京都から大阪へと木津川を下る時に、

船頭さんが、

「この世には地獄と極楽があるらしいが、

この世に佛さんが本当におられるのならば、

是非見せてくれ。

あなたは高僧なんだから、

私に佛さんを見せることなんて簡単でしょう」

と訊ねたところ、

「分かりました。

佛さんを見せて差し上げましょう。

そのかわり、

大きな声で、

“佛来い!”と叫びながら船を漕いで下さい」

とおっしゃった。

船頭さんは一生懸命大声で

「佛来い。佛来い。」と叫びながら、

もくもくと棹をさし続け目的地の淀屋橋に着きました。

大阪で用事を済ませた一休さんが、

先ほどの船頭に「おい船頭、佛を見たか。」と訊ねると、

「お蔭様で、佛さんが見えました。」と・・・。

※「佛を見る」とは「幸せを感じる」というような意味です。

_______

師匠の話はここでプツッと終わり、

無言で仕事を続けられ、この話の先を伺うことはできなかったと・・・

この時19歳だった松本氏は、

師匠の言わんとすることがさっぱり・・・

ようやくその真意が理解できたのは、

時が流れて35歳になった頃と言います。

松本氏曰く、

「佛来い」とは、

自分がどれだけ心の底から求めて、

その道に打ち込んだのかで、

すべてが決まるのだと。

この船頭さんは、

「佛来い」と叫んでいたから、

いつもより力が入っていた。

それに、

佛が見たいから一所懸命漕いだ。

つまり、

自分の仕事に一所懸命になったら、

認められ、評価され、感謝の言葉とおひねりがもらえる。

だからこの世で佛が見たかったら、

自分の職業に一所懸命打ち込めということ。




「ロープウェイできた人は、登山家と同じ太陽を見ることはできない」

とは、

フランスの哲学者アランの言葉です。

「なんの苦労もせずに簡単に登ってきた人が見る太陽は、

厳しい鍛練を重ねて自分の足で頂上にたどり着いた人が見る太陽とは別物だ」

ということですね



「船荷のない船は不安定でまっすぐ進まない。

一定量の心配や苦痛、苦労は、いつも、だれにも必要である」

by ショーペンハウアー(ドイツの哲学者・作家)